暑中見舞 -憂鬱な午後-

こんにちはあるいはこんばんは。

 

スパイファミリーにはまっている初老大学生です。

 

無料のやつを使ってるので広告で見づらかったらごめんね。

 

今日は『暑中見舞 -憂鬱な午後-』についてだらだらと書いていく。

 

この曲はライフの中の曲でもあり小林武史さんをプロデューサーに迎え作られた曲らしい。

 

私はとんでもなくこの曲が好き。というのも私は2018年に獣ゆく細道で宮本浩次にはまった。それからしばらくソロの曲を聴いていた中でいよいよエレカシにも手を出そうと思い、まず買ったアルバムが『All Time Best Album the Fighting Man』だった。最初にこれを買った理由としては買う前からエレカシの中でも好きな曲(Rainbowなど)がいくつかあってそれらが収められていたからだ。このアルバムを聴いていた中で度肝を抜かれた曲がいくつかある。ガストロンジャーと奴隷天国そして暑中見舞 -憂鬱な午後-だ。

 

イントロのうにょんうにょんした音でいままでの宮本浩次の曲には無い何かを感じた。いざ歌が始まるといかにも憂鬱そうな声が聞こえてくる。

 

この曲の歌詞はかなり多くの人が共感できる歌詞な気がする。夢や恋を歌い共感を呼ぶ歌は、言い方を選ばずに言えばいくらでもある。だが、ここまで平凡な内容で、だれもが思っているがだれも言わないような内容でここまで共感を得られる曲が今まであっただろうか。宮本先生はこういう歌詞を書くのがとんでもなく上手だ。デーデもそうだし、リッスントゥザミュージックもそうかな。話が逸れたから暑中見舞の話に戻る。

 

少し自分の話をするが、私は中学生まで9年ほどサッカーをやっていた。兄の影響で始めたが自分としてはそんなに好きではなかったので高校に入った段階でサッカーはやめた。少し勉強をするような学校だったので帰宅部になり勉強それなりにして生活していた。部活も強い学校だったので部活での功績などが眩しかった。友達が多いほうではなかったから休みの日は晴れていても大体自室でごろごろしていた。そんな中でこの曲に出会った。当時の自分にはドはまりだった。

 

世の中のいったいどれくらいの人間が毎日を必死に生活し、夢や希望を未来に持って生きているのだろうか。少なくとも私はそうではない。毎日だらだら生活しているだけである。だけれども、時々このままじゃよくないなぁと思い少しだけ何かしようと考えることもある。でも、結局はやらないんだよね。そんな平凡な俺たちのことを宮本浩次は歌ってくれている。これは完全な憶測だけど最初に事務所との契約を切られた時の一年のなかのある晴れた日の午後を思って書いたんじゃないかな。

 

「俺の両腕いまだ勝利なく、されどこれという敗北もなく」この歌詞が信じられないくらい痺れる。みんな感じているぼんやりとした不安をこんなかっこよく歌ってくれてありがとう。でもこんななんでもないような日常でも幸せなんだよね。

 

最後に音楽的なことを書くと、初めて聴いた時間奏で終わっちゃうのかと思ってびっくりしたね。でもすぐ始まってこの後どうなるのかっていうワクワクが大きかった気がする。あと、ラストの声が強くなるとこかっこよすぎる。前半の憂鬱感を吹き飛ばせそうになってでも結局元に戻る感じ最高!

 

ということで今日はこの辺で。

 

明日は上野の山かもしれない。気分次第。

 

ではまた。